連載 車のはなし第1話
日本人が手放した車を、
世界が奪い合っている
「若者の車離れ」という言葉を、もう何年も聞いている。免許を取らない、車を買わない、興味がない。統計もおおむねそれを裏づけている。
だが、中古車の輸出に関わっていると、まったく逆の景色が見える。
- 書き手
- CarAuctionJapan
- 視点
- 鈑金塗装の現場と、中古車輸出の現場から

「値段がつきません」と言われた車
下取りに出して、「申し訳ありませんが、これは値段がつきません」と言われた経験はないだろうか。走行距離が10万キロを超えている。年式が古い。少し傷がある。そういう理由で、ほとんどゼロに近い査定額を提示される。
納得して手放した人も多いと思う。日本ではそれが常識だからだ。
だが、その車が数か月後にどこで走っているか。中東の乾いた幹線道路かもしれないし、南半球の田舎町かもしれない。アフリカで乗り合いバスとして、毎日満員の乗客を運んでいるかもしれない。そして現地では、日本での査定額とは比べものにならない値段で取引されている。
これは特別な話ではない。日本から輸出される中古車は毎年おびただしい数にのぼり、その多くが国内では「価値が低い」とされた車だ。
なぜ、そこまで欲しがられるのか
理由ははっきりしている。壊れないからだ。
これは日本車の性能の話だけではない。むしろ大きいのは、前のオーナーの扱い方のほうだと思っている。
日本には車検制度がある。2年に一度、あるいは1年に一度、強制的に点検が入る。オイル交換の記録が残る。整備手帳が車についてくる。ぶつけたら直す。錆びる前に洗う。当たり前のようにやっているこの積み重ねが、世界的に見ると異常なほど丁寧なのだ。
もうひとつ大きいのが、部品が手に入ることだ。日本車は世界中で走っているから、どこの国でも交換部品が流通している。故障しても直せる、直す部品が届く。車を「移動手段」ではなく「生活の基盤」として使う国では、これが決定的な条件になる。
海外のバイヤーが日本の中古車を欲しがるとき、彼らが買っているのはメーカーの技術だけではない。前の持ち主が何年もかけて手入れした状態そのものを買っている。

では「車離れ」とは何だったのか
ここまで書いて、ひとつの疑問に行き着く。
世界がこれほど欲しがるものを、なぜ日本人だけが手放しているのか。
興味を失ったから、と説明されることが多い。若者はスマートフォンがあれば満足で、車という所有物に憧れを感じない、と。
だが、現場で人と話していると、そうは思えない。車が嫌いになった人には、ほとんど会ったことがない。会うのは、「乗りたいけれど、無理だと思っている」人ばかりだ。
維持費が高そうだ。駐車場代がかかる。ぶつけたら大変なことになる。中古車は怖い。——そのどれもが、半分は正しく、半分は誤解だ。そしてその誤解を解く役目を、誰も引き受けてこなかった。
たとえば、板金の見積もりを出したときの反応でよくわかる。バンパーの擦り傷を見て「もう買い替えかな」と言っていた人が、金額を聞いて拍子抜けした顔をすることがある。逆に、想像よりずっと高くて驚かれることもある。どちらにも共通しているのは、相場を知る手段がなかったということだ。
知らないものは、高く見える。高く見えるものからは、人は遠ざかる。車離れの正体は、興味の消失ではなく情報の断絶ではないか。それが現場から見た私の仮説だ。
このシリーズで書きたいこと
私は鈑金塗装をやりながら、中古車の輸出にも関わっている。壊れた車を直す側と、その車を世界に送り出す側の、両方に立っている。
だから、車を売りたい人の宣伝でもなく、統計を並べるだけの記事でもない話ができると思っている。修理代の実際のところ。査定額が決まる仕組み。中古車のどこを見れば失敗しないか。海外の人が日本車の何を評価しているか。
全10回で、そのあたりを順番に書いていく。読み終わったときに、「思っていたほど無理な話ではないな」と感じてもらえたら、この連載の目的は果たせたことになる。
次回は、いちばん多く聞かれる質問から始めたい。
税金、保険、車検、駐車場、燃料。よく言われる「年間◯十万円」の内訳を、ごまかさずに分解してみる。そのうえで、削れるものと削れないものを分けて考える。
