連載 車のはなし第3話
なぜ日本の中古車だけが
安いのか
10万キロを超えた車は、日本ではほとんど値段がつかない。だが同じ車が海外に渡れば、そこから20万キロ、30万キロと走り続ける。
車の性能が国境で変わるわけではない。変わるのは、その車をどう評価するかという物差しのほうだ。
- 書き手
- CarAuctionJapan
- 視点
- 鈑金塗装の現場と、中古車輸出の現場から

「10万キロで寿命」は誰が決めたのか
中古車を探していると、10万キロという数字が一つの境界線として扱われていることに気づく。それを超えた瞬間、価格が階段を落ちるように下がる。
だが、この数字に技術的な根拠があるわけではない。かつてエンジンやミッションの耐久性が今より低かった時代の名残が、そのまま慣習として残っているだけだ。
現在の日本車は、適切に整備されていれば20万キロ、30万キロは十分に走る。実際、海外に渡った日本車の多くが、日本で「寿命」と判断された地点から、さらに長い距離を走っている。
つまり10万キロという線引きは、車の実力ではなく、市場の慣習が作ったものだ。そしてこの慣習が、日本の中古車価格を世界的に見て異常に安くしている。
車検制度が生む二つの効果
日本の中古車が安い理由を考えるとき、車検制度を避けて通れない。この制度は、まったく逆方向に働く二つの効果を持っている。
一つは、車の状態を良く保つ効果だ。定期的に強制点検が入るため、整備されないまま放置される車が少ない。これが日本車の中古車としての品質を世界最高水準にしている。
もう一つは、手放す動機を作る効果だ。車検のたびにまとまった出費が発生するため、「次の車検が来る前に乗り換えよう」という判断が生まれる。特に年式が古くなると、車検費用が車両価値を上回る逆転が起きる。
結果として、日本の市場には状態が良いのに手放された車が大量に流れ込む。供給が需要を上回れば、価格は下がる。これが構造的な安さの正体だ。
海外には、その線引きがない
多くの国には、日本のような厳格な車検制度がない。あっても簡易的なもので、費用も比較にならないほど安い。
だから「車検が来るから乗り換える」という発想自体が生まれない。走る限り乗る。壊れたら直す。直せなくなるまで使う。これが世界の標準的な感覚だ。
そういう市場から見れば、日本の中古車は理解しがたいほど条件がいい。整備記録が揃っていて、内外装がきれいで、それでいて安い。奪い合いになるのは当然だと言える。

この構造を、買う側からどう使うか
ここまでは市場の仕組みの話だが、これは中古車を買おうとしている人にとって実用的な意味を持つ。
走行距離が多いというだけで敬遠されている車には、割安なものが混じっているということだ。市場が慣習で値段を下げているのだから、実力と価格の間にズレが生まれる。そのズレを拾えるかどうかが、中古車選びの分かれ目になる。
では何を見ればいいのか。距離の代わりに見るべき指標は、大きく三つある。
一つ目は整備記録。定期点検記録簿が揃っている車は、それだけで信頼度が違う。何を、いつ、どこで交換したかが追えるからだ。記録のない10万キロより、記録のある15万キロのほうが安全なことは珍しくない。
二つ目は錆。これは距離とほとんど関係がない。融雪剤を撒く地域で使われた車は、下回りの傷みが進んでいることがある。逆に、走行距離が多くても錆の少ない個体はある。足回りやマフラー周辺を見るだけで、かなりの情報が得られる。
三つ目は使われ方。同じ10万キロでも、高速道路中心の10万キロと、短距離の発進停止を繰り返した10万キロでは、エンジンへの負担がまったく違う。前者のほうが状態がいいことが多い。
安さの理由を知っておく
日本の中古車が安いのは、品質が低いからではない。むしろ逆で、品質の高い車が過剰に供給されているからだ。
この構造を知っているかどうかで、選び方が変わる。「距離が多いから危ない」ではなく、「距離が多いから安い、では中身はどうか」と考えられるようになる。
そして、その中身を判断する目こそが、この連載で伝えていきたいものだ。次回は、実際に車を直す側の視点から話をしたい。
ぶつけた、擦った、凹んだ。その瞬間に買い替えを考える人は多い。だが現場から見ると、直せるものと直せないものの境界は、多くの人が思っているところとは違う場所にある。
